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音楽って素晴らしい!!!!
練習の割合
音楽はメトロノームやチューナで測れるのか?
表現と技術が融合して音楽が完成される
クラシック音楽について
楽曲のカットについて

音楽って素晴らしい!!!!  

 「音楽って素晴らしい」・・・誰もが思っている事と思います。一生追い求めても追いつけません。何百年のもの間、たくさんの音楽家が一生を捧げてきてもやりつくせない音楽がそこにあります。それを追求する事は素晴らしも楽しい事ものです。
 人々は感動、興奮、安らぎ、癒し、などなど、を求めて追求していきます。これは、プロフェッショナル、アマチュア、大人、学生、何の隔たりもありません。誰にでも平等にあります。
 どこかで読んだ話ですが、「音楽と言う芸術は、金持ちも、貧乏人も、豊かな心の持ち主も、そうでない人も、一つの楽曲を聴くには同じ時間を掛けないと聴く事ができない」とありました。そう、どんな人にも音楽は平等なのですね。

練習の割合  

 練習時、音楽表現の事を考えるより、しばしば楽器の技術だけに意識がいってしまいがちです。楽器の技術は大切ですが、それだけを考えてしまうと、音楽表現が無くなってしまいます。それでは何の為に音楽をやっているかが分からなくなります。音を正確に並べただけでは音楽と言えませんよね。
 練習する時はいつも音楽的に練習しましょう。基礎練習こそ音楽的に練習します。いつも歌うのを忘れずに。

音楽表現と技術の練習の割合は【5:5】であるべきなのです。

音楽はメトロノームやチューナで測れるのか?  

 練習時、チューナーやメトロノームだけにとらわれてしまい、音符を機械的に当てはめていくのを、しばしば見かけます。もちろんチューナーやメトロノームは素晴らしい道具です。否定するつもりは全くなく、僕もいつも便利に使っています。しかし、使い方に気をつけましょう。

 それらの道具は体温計のように使うと思って下さい。カゼをひいたとき体温計で熱を測りますね。しかしいつも熱を測っているだけではカゼは治りません。カゼに対して何らかの対処をして、良くなったと思ったら熱を測りますよね。チューナーやメトロノームに頼って練習すると、脳は自分で感じる事を止めてしまいます。大切なのは自分で音程を感じ、自分でテンポ、リズムを感じる事です。それは常に感覚のトレーニングしないと身に付きません。

 前述しましたが、メトロノームやチューナーを常につけていては感覚のトレーニングにはなりません。でっかいメトロノームを置く方法もありますが、機械的な動きなので(当然ですが)そこには音楽的な表情、感情はありません。基礎練習さえも本来は人間が指揮をすべきです。指揮をいつも見て(感じて)、音楽的な感覚を感じ取る習慣をつけるようにしてトレーニングします。

 常に純正調で吹くべきとおっしゃる方がいますが、僕は真正面から否定します。勿論純正調の響きは美しいし自然です。しかし純正調の和音進行が3つ続いただけで和声は崩壊します。純正調をテーマにして本には必ず書いてあることです。また、ヴァイオリンの教本では第3音は低めに取らないようにする。そんな記述もあります。
 この考えが理解できない場合は、ドボルザークの交響曲「新世界」2楽章のコラールを実際に演奏して見てください。純正調だけですと崩壊します。逆に平均律だけでも味気ない響きになってしまいます。要は純正調、平均律を上手く共存させるべきと思います。

 メトロノームの練習は他の音を聴いて、リズムを感じるトレーニングになります。メトロノームの単純なテンポを聴き取る事ができなければ、合奏をした時、他のパートを聴くのは難しいですよね。

表現と技術が融合して音楽が完成される  

書家、相田みつをの言葉を引用します。
書も音楽も同じ部分がありますね。

心と技術=作品(成果)

1×9= 9(最少値←失敗)
2×8=16
3×7=21
4×6=24
5×5=25(最大値←成功)
6×4=24
7×3=21
8×2=16
9×1= 9(最少値←失敗)

 足し算ではなくて、掛け算だというところがポイントですね。心も、技術も大事だということです。

 また、人によっては「99%の理性と1%の情熱」と表現する人もいます。
 上記の式からすると失敗になりますが、実はこの考えもとても大切で、同じようなことを表現しています。

 では、何が本当か?と聞かれれば、理性(技術、知識)と情熱のバランスが整っている状態で演奏するのが本当かと思います。人によって、その理性を50%と表現したり、99%と表現したりしているのでしょう。

 結果(良い演奏)を出すには、知識と技術を持ち行動する事なんですね。

 時々、「トロンボーンは音を並べるだけで仕事が成立する」と公言してしまう人がいますが上記からそれは全く違う事と気づいていただけると思います。

クラシック音楽について  

 私たちが演奏するクラシック音楽って何だろう?と考えた事がありました。よく考えると素晴らしいものだなと思ったので書き記しておきます。

 クラシック音楽のルーツは何種類かありますが、そのほとんどは、庶民や貴族の、娯楽、遊びの音楽だったのです。例えば、現在では「歌謡曲」「J-Pop」「ポップス」「ロック」などなどたくさんあります。それと同じ事なんです。

 ただちょっとだけ違うのが、『歴史と言う「ふるい」にかけられた、選りすぐりの音楽』なのです。
 例えば現在の音楽で置き換えると分かりやすいかと思います。現在の娯楽のための音楽は、年間何千曲も発表されています。その中で人々の心をとらえ、ヒットチャートにランクインできるのはごく一部です。
 そして、10年前のヒットチャートにランクインした曲が今も全て歌われているでしょうか?ほとんど忘れられていますよね。でも、歌われ続けている楽曲もあります。そんな感じで30年前、50年前、100年前、200年以上前の音楽が歌われ、演奏され続けているのが「クラシック音楽」なのです。そう考えるとちょっと凄いですよね。 

 僕はクラシック音楽を専門に演奏していますが、いつもその楽曲の力に圧倒されています。演奏するたび、毎回新しい発見があります。一生勉強し続けても追いつかないのですね。100年以上の時代の洗礼をくぐってきた楽曲の力は、凄い力を秘めているのですね。

 そんな事を考えたら、現在の作曲家で100年後も演奏され続けられる音楽を創る人が、何人いるかどうかわかりません。吹奏楽では新曲がもてはやされています。当然素晴らしい楽曲もありますし、残念ながらそうでないものもあるのも事実です。100年後も演奏される楽曲を見つけ出して演奏したいですね。

楽曲のカットについて

 吹奏楽のコンクール等でよく目にする事ですが、大抵の参加団体は楽曲のカットをしています。基本的に楽曲はカットすべきではありません。しかし時間のなどどうしてもしなければいけない場合があるのも事実です。その時は大きくカットすべきです。例えば練習番号Gに入らずJに飛ぶなどです。もちろんコード進行など不自然になりすぎないようにします。カットする事自体が不自然な事ですから。

 どこかで読んだ事ですが、楽曲をカットして演奏するのは、絵画を切り刻んで展示するようなものだ。とありました。全くその通りです。しかし、時間的制約がある以上そうも言っていられないので、カットするときはよく考えて実行して下さい。

 また審査員が作曲をした曲を演奏した団体がありました。1小節だけカットしていたのです!! その作曲家の悲しそうな表情は忘れません。彼は「その1小節は比較的難しいけど、全体的な構成からはどの小節も必要です」と話していました。
 この例は時間を短くするのではなく、難しいところを無くす「臭いものには蓋」の考えですよね。これが教育現場で行われていることは非常に残念です。その難しい箇所を演奏する演奏者が演奏できなくても、音楽的には必要な部分だから演奏しようと指導すべきと思います。

 以前、次のようなカットをしていた団体がありました。8小節ある前奏を2小節目、5小節目、7小節目を各小節をカット、と細かく切っていたのです。比較的新しい曲なので聴いている人は気がつかないと思いますが、たまたま僕は、その曲を作曲者の指揮で演奏したばかりの曲だったのです。体中を切り刻まれた感覚がしました。涙が出そうになりました。現在はほとんどの方がご存知の名曲です。当時の演奏を録音で知った当時の学生は愕然とするでしょう。ここにも音楽に対するリスペクトが感じられない指導者がいたということです。

 このような例もあります。ある有名な3時間もするオペラを全国大会で金賞受賞の学校がありました。そのオペラ3時間を7〜8くらいにカットしていました。まあここは致し方ないことですが、カットの仕方が相当乱暴すぎました。そのオペラの中でそこそこ有名な部分1曲分を前奏の後に演奏し、なんの脈絡のないところで切って、他の曲を入れ、後半に持って来る。その他そのオペラ自体は僕は何度も演奏しているので、悲しくなりました。
 ちょっと分かりにくい書き方なので、練習番号で説明します。A-F-D-E-C-G-J-E’-G’のような進行です。ここにも音楽に対するリスペクトが感じられない指導者がいたということです。ここにも音楽に対するリスペクトが感じられない指導者がいたということです。

 皆さん知っているフレーズをそのように細切れにして演奏してみて下さい。不自然きわまりない事に気がつきます。たった3小節をカットしたからと言って、全体の演奏時間は数秒しか変わりません。作曲家への冒涜とも思えてしまいます。しかし、時間的制約がある以上そうも言っていられないので、カットするときはよく考えて実行して下さい。

 ついでですが、最近のテレビでクラシック音楽を効果音、BGMで使う事が多くなりました。その楽曲は勿論カットして使用されています。勿論テレビですので「何秒に収める」と大きな制約があるのは理解していますが、あまりにも非音楽的なカットをしているのが目に余ります。あまりにも不自然すぎて心臓がえぐられる辛さを感じる時もあります。おそらくですが、カットする事に慣れてしまっているのでしょうかね?商業音楽と言うのも理解できますが、出来るだけ不自然にならない方が良いと思います。